今回は「元ネタのお勉強」というお話をしましょう。
どういうお話か説明しますね。
ラノベや漫画、アニメを見ているとしばしばパロネタ、他作品のパロディをネタにするシーンがあったりしますよね。
あるいは某聖杯戦争をする作品だったり、歴史系、神話系、文学系の作品だったりには、元ネタとなる史実や物語がありますよね。
そこで、その元ネタとなっているものを勉強するべきかどうか、というのが今回の雑談のテーマになります。
- 1 何故元ネタの勉強が必要なのか
- 2 勉強しないデメリット
- 3 理解できないものを書くほうが悪いのか? 理解できない方が悪いのか?
- 4 元ネタの勉強は新たな趣味の開拓
- 5 でも、そうは言っても……大変でしょ
- おわりに
さて、テーマの説明が済みましたので早速わたしの持論を述べましょう
「元ネタの勉強はできるだけすべきです!!」
1 何故元ネタの勉強が必要なのか
Q. 何故元ネタの勉強が必要なのか。
理由は単純明快。
A. 元ネタ知ってた方が、作品をより楽しめるから。
正直、これ以上でもこれ以下でもないと思います。
例えばですよ。
「とある作者の作品Aがあって、それは同じ作者の作品Bに繋がっている」
みたいなものがあったとしたら、どうですか?
Bを見るために、必ずしもAを見なきゃいけない、というわけではないでしょう。
しかしながら、AとBどちらを先に読むかは別として、Aを読んだら、そのAの作品の小ネタがあるBは楽しめるポイントが1つは必ずあるってことになりませんか?
有名作品で言うなら「天気の子」には前作「君の名は」のキャラがちらっと出ている、みたいなのがあるでしょうか。
他には、そうですね。
「Cという作品は、DやEのような作品の影響を受けている」
みたいなものはどうでしょうか。
これも先ほどと同様。DやEを読んでいなくとも、Cを楽しむことができるでしょう。
ただ前提となるDやEを読んでいれば「ああ、だからここはこういう表現をしたのか」とより作品への理解が深まるポイントが生まれるのではないでしょうか?
そういう意味で元ネタの勉強をする、ということはイコールより作品を楽しむことと同義だと思っています。
なので、基本的に何故元ネタの勉強が必要なのかがという問いに対してはより作品を楽しむためと答えます。
そしてそれ以上もそれ以下もないと思っています。さらに言えば、勉強をしてデメリットとなることはないんじゃないかとすら思っています。
2 勉強しないデメリット
さて、少し別の例を挙げましょう。
「とあるラノベFを読んでいて、本編を読むと実は表紙のイラストには◯◯という事実が隠されていた」
みたいなのはどうでしょうか?
これって、読む前は気づかないけど、読んだあとには気づくものですよね。
これって「イラストに描かれている内容、つまりは元ネタを理解したからイラストの良さを理解できた」って言うことができないでしょうか?
これは西洋画や宗教画を見るときに◯◯派だとかアトリビュートだとかを理解しているかいないかで、その絵に書かれている内容がどういうものなのか判断できるかできないかに差が生まれるのと同じようなものでしょう
「元ネタを知っているとそのネタが使われるシーンは楽しめる。」
最初に挙げた2つの例ではそう言いましたね。
このイラストの例では、少し別の角度から見ているのが分かるでしょうか。
また例をあげます。
「とある作品Gは戦国時代を元ネタにしている作品である」
という場合があったとします。
これもまた歴史に詳しい人であれば、歴史を知っている人であれば「このキャラはこういう人物だから、こういう展開がありそうだな」とか予想したり理解して楽しむことができますよね。
では一方で歴史について全然詳しくない人ならどうでしょうか。「何言ってるか分からない」と感じて、それは作品に入り込めない要因になってしまいますよね。
そうです。
「元ネタを知らないとそもそも理解ができない」
そういう作品が少なからず存在していて、最初の2例のような知っていればより楽しめるけれど知らなくても十分楽しめる、とは全くの別物になるんですよ。
これが大きな問題で、さらにいえば元ネタを勉強しないデメリットだと思っています。
3 理解できないものを書くほうが悪いのか? 理解できない方が悪いのか?
元ネタを知らないと理解できない作品なんてどうしようもないだろ、とか言う人もいるかもしれません。
しかしこれは作品が悪いのか読者が悪いのかと問われたら「それは読者が悪い」とわたしは言うでしょう。
作品っていうのは、全てがあなたのためにあるわけじゃあないんですから。
作者には自身の想定する読者に対しての配慮だったり、こういうものを見せたいという気持ちはあるでしょう。そしてその作者が想定していた読者にあなたが含まれないだけ。それを作品のせいにするのはお門違いでしょう。
作品に対して読者から歩み寄る必要がある部分は間違いなくあるんですよ。
そして作品の元ネタというのは、このわたしたち読者が歩み寄る必要がある部分だとわたしは思っています。
もちろんここで「ネタが分からないのはそもそも理解を放棄する」という選択肢もあるでしょう。
でも、それって少しだけもったいないってわたしは思いますよ。
元ネタが分からないままに放置するというのは「ネタが使われている作品を楽しめる可能性」と「元ネタの勉強をする中で、その元ネタにハマる可能性」の2つを損失しているんですから。
4 元ネタの勉強は新たな趣味の開拓
「元ネタの勉強をする中で、その元ネタにハマる可能性」ってどういうこと?
と思われる方もいるかもしれませんね。
これに関してはわたし自身の実体験を踏まえて例を挙げましょう。
わたしは「仮面ライダー」と「ガンダム」に元ネタのお勉強をしているうちに、次第に純粋に作品が好きになっていきました。
「這いよれ!ニャル子」さんのような仮面ライダーネタを連発する作品だったり、ネタ発言として笑いに使われる迷言だったり、その元ネタを理解するために仮面ライダーを見始めました。
ガンダムシリーズは「超次元ゲイムネプテューヌ」シリーズのいつだかの作品でガンダムの予告のパロネタが使われたり、あとは「止まるんじゃねぇぞ」で有名なオルガネタとかありますよね。そういうのを理解するために見始めました。
そして、普通にハマりました。
とはいえまだ仮面ライダーもガンダムも全シリーズを制覇したとは言えません。作品数がちょっと多すぎてね💦 時間的に厳しいですの()
ただ、作品を一通りは見てみたいなと思うくらいには好きになってます。
と、そんな自分語りから言いたいのはつまり。
「元ネタの勉強をしている内に、新しい好きな作品を見つける可能性がある」ってことなんですよ。
そもそもです。
自分から進んで見ようと思っていない作品って、何かきっかけがないと見ないじゃないですか。
だったら「自分の見ている作品でネタにされているから、そのネタを理解したいから見てみる」という基本的には前向きな理由はそのきっかけに十分すぎるとだと思いませんか?
いい機会だと思って勉強してみるのもいいんじゃあないでしょうか?
最初に言いましたが、元ネタを勉強してデメリットはないんですよ。
しかしながら、元ネタを勉強しないデメリットはあるんです。現在進行系で見ている作品と、元ネタの勉強で見るだろう作品。元ネタの勉強の放棄というのは、その2つを好きになる可能性を放棄するってことなんですよ。
あまりに勿体ないと思います。
5 でも、そうは言っても……大変でしょ
ちょっと話が長くなったので一旦まとめましょう。
元ネタを勉強するメリットは
「作品への理解度が深まる。より楽しむことができる」
これ以上でもこれ以下でもありません。
そして元ネタを勉強しないデメリットとして
「元ネタを知らないと楽しむことができない作品がある」
「元ネタを勉強する中で、新たな趣味を見つける可能性を失う」
という2点を挙げました。
では、元ネタの勉強は大事だと、そう言いますが元ネタの勉強には大きな問題があります。
それは、言うまでもなく単純な労力……。
これまでにいくつか例を挙げましたよね。
じゃあその全部を勉強しよう、って言われて勉強しますか?
無理です……。
◯◯の作品を見るためには、××を勉強してからじゃなきゃだめだ。
なんていうのを積み重ね続けたら、極論全知全能にでもならないと何も見ることができない、ってことになります。
それに歴史系を読むために歴史を、文学系を読むためには文学を、パロディを読むためにはその元ネタを……なんてやってたら「面倒くせぇ」ってなるでしょう。わたしはなります。
先ほど例に上げた仮面ライダーとかガンダムでも言いましたけど、作品数多すぎて全部見るのに膨大な時間がかかるものだってありますし……。
何よりも、1つの作品を読むにあたって、そのほんの一部に扱われているだけのネタを理解するためだけに、それ以上の文章を読んだりしなきゃいけないのって何だかなぁって思いますよ。
なので、わたしは元ネタを勉強すべきだと、するほうが良いよと、そうは言いますが。
何でもかんでも勉強しろ、とは言いません。
最初にいった言葉を繰り返します。
「元ネタの勉強はできるだけすべきです!!」
はい。
「できるだけ」、です。
取捨選択は大事です。
では、どんな元ネタなら勉強した方が良いの?
という問いに関して、明確な答えはないのですが、わたしの中では簡単に2つの基準を作っています。
・自分の好きな作品に出てきたネタで、気になったらその作品を読んだあとで元ネタを勉強する
・読む前から何かの元ネタがあると明確に分かっている作品は、その元ネタを”簡単に”でいいから勉強してから臨む
この2つですね。
つまるところ普通に作品を読んでいて自分の知らないネタが出てきたら、それはとりあえずスルーします。その場で多少ググったりはするかもですが、一旦スルーの方向性。
後者に関して、簡単にでいいから勉強する、というのは言ってしまえば”あらすじレベル”で良いということです。
とある文学作品を元ネタにした作品があったのなら、その文学作品のあらすじを軽く調べるだけでもいいんですよ。歴史系の作品ならば、学校の授業レベルでもいいと思います。パロネタだったら、どんな作品の何てキャラが言ったセリフなのか、そのくらいを調べれば十分です。
その少しを知っているかで0と1の差が生まれるんですよ。そして、その僅かな差が、作品に触れるという行為の上では天と地の差になるとわたしは思っています。
もはや元ネタの勉強とかそんなレベルの話ではありませんが。
わたしって、飲み物に全く頓着しない……というか水以外の飲み物が嫌いなタイプの人間なんですよね。
そうするとコーヒーとか紅茶の淹れ方みたいなのがまーったく分からないわけですよ。普段飲んでいる人でも知らない人とかいるかもしれませんが。
すると、とあるラノベを読んでいてサイフォンでコーヒーを淹れるとか書いてあったときに「???」ってなった経験があるんですよね。何をしているのか全くイメージができないんです。
そんなとき、ユーチューブで「コーヒー 淹れ方 サイフォン」と調べればどうですか、ラノベの文字だけで書いてあることがしっかりイメージして理解できるようになるでしょう。
知ってると知らないは、本当に0と1の大きな差があるんですよ。
逆に0と1で、わたし自身がいつも0の側にいるなぁと思うのが、文章表現に関すること。
しばしば作品を見て「文章が綺麗だ」「表現が巧い」などと言う人がいると思うんですけど、わたしはそれが全く理解できないんですよね。
自分の中で読みやすい読みにくいといった感覚はありますけど、その文章の良し悪しというものは全くといっていいほど判断できません。
それどころか何でこんな曖昧な表現にするんだろう、とか思ったりすることがあるような人間ですよ。
これはある種のセンスとかが必要な部分もあるでしょうけど、根本的には文章の良し悪しを判断できるだけの何らかの教養が必要だと思っている部分です。
また、さらにいえば文章の書き方というのにもその時代の流行やら何やらがあって形作られるものですから、ここでもまたそういう作品の時代背景という元ネタの勉強が必要になることでしょう。古典を現代文の感覚で読んではいけないのと同じです。
すごく大雑把に言えば、国語力。
これを学ぶこともわたしは一種の元ネタの勉強だと思っています。そしてこの分野に関してはわたしはまるで知識が足りない。
結果として文章の良し悪しは分からない読者になっているわけです。
そんな自分を振り返ると「文章にすごく力を入れている作者の作品を読むとき、その力を入れている部分を自分は理解できないんだな」と思い申し訳なさが生まれてしまいますよね。
おわりに
わたしは最初から何度も言いますが。
元ネタの勉強は大事だと言います。
そして、その勉強というのは完璧でなくてもいい。0と1の1を生み出す程度の勉強、ググったりユーチューブで調べたりするその程度でいいからまずはやってみるのが重要です。
そしてもっと詳しく知りたいと思ったのなら、より詳しく勉強すればいい。元ネタの勉強のメリットは述べましたし、勉強して悪いことはないですから。
さて、今回のお話で言いたかったことはこれが全てです。
元ネタの勉強は大事ですよと。
知識がないから、前提を知らないから、作品を楽しめないというのはあまりに勿体ない。
それは作品に対してのある種読者の冒涜的怠慢であると言いたくもなります。
とはいえ、何でもかんでも勉強するのは無理がありすぎる……。現状、わたしが実践できているかと言われるとできていない部分の方が多いですし。
ただ、ここまで述べた内容として元ネタの勉強は、そのネタが使われる作品を楽しむため、というのがいちばんにあるわけですよ。
そうなると勉強が苦痛になってしまうのは本末転倒で、それは避けたいわけです。
だから結局のところ、元ネタの勉強と言っても、自分が楽しめる範囲でしかできないんですよね。
しかし、これもまた作品を楽しむための前提知識を得るためという目的からズレているように思えてならない。
本当に難しい問題だよなぁっていつも感じています。
他の人は一体どうやって元ネタの勉強をしているのか、聞いてみたいですよ。
勉強である以上はやるしかない、際限などない、とか言われたらそれまでなのですけど……。
ひとまず今回の雑談はこれでおわり。
大したオチもないですが。
また何かダラダラ話したいことがあったら話します。